日本の音楽フェスの歴史を紐解いていくと、その最も古くは約50年前の1969年に厚生年金ホールで行われた<日本ロック・フェスティバル>にある。そして、現在のいわゆる「野外フェス」の先駆けとして今も続いている<FUJI ROCK FESTIVAL(フジロック)>も、今年で20年。同年に生まれた赤ちゃんも今では成人になり、親に気兼ねなく友達と一緒に<FUJI ROCK FESTIVAL>に行く、なんてことはもはや夏の風物詩となっている。日本のフェスシーンもそれだけの長い年月が経ち、状況も環境も大きく変化しているのだ。
そんな長い年月の中で、フェスに感化され、人生が大きく変わってしまった2人の1986年生まれがいる。1人は、2006年に当時19歳の若さで<AOMORI ROCK FESTIVAL 〜夏の魔物〜>を主催し、現在はフェスティバルの名前を冠したホストユニットも主導している成田大致。そしてもう1人は、10代の頃から日本全国津々浦々のフェスに参加していたことが高じて国内最大級の音楽フェス情報サイト「Festival Life」の編集長を務めるようになり、さらにイギリスの<グラストンベリー>がきっかけでイギリスに移住し、日本初の海外フェス専門サイト「Festival Junkie」まで立ち上げた津田昌太朗。
古くから付き合いがあるという2人だが、今回は、長らく成田に憧れを抱き、はたまた嫉妬し、彼のキャラクターを愛し続けてきた津田が、<夏の魔物>10周年という節目に、お互いの現在地を照らし合わせるべく提案した対談となっている。
常に自らの脳内の写し鏡として<夏の魔物>を開催してきた成田と、常に対主催者のスタンスで数多のフェスと向き合ってきた津田。お互い辿ってきた道は違えど、実際にこの2人に挟まれて話を聞いてみると、ひたすらなフェスへの愛情の向け方は、同い年らしく似た者同士なのかもしれないと思えてくる。