

photo by Capitol Archives

photo by The Music Center Archives/Otto Rothschild Collection
“A Hard Day’s Night” - hear the second track now available from “Live At The Hollywood Bowl” 前置きがすっかり長くなってしまったが、ここではそんなビートルズの「ライヴバンド」としての軌跡を追っていきたい。 ビートルズが「ライヴバンド」として飛躍的にスキルを上げたのは、下積み時代にハンブルグ巡業をおこなったことが大きい。経済的にも衛生的にも劣悪な環境で、覚せい剤の一種であるアンフェタミンを服用しながら酔っ払いを相手に朝までぶっ通しで演奏していた彼らは、演奏力はもちろん、客を飽きさせないための工夫を身につけていく。61年から「キャヴァーン・クラブ」にレギュラーで出演するようになると、地元リヴァプールでレコード屋を経営していたブライアン・エプスタインの耳にとまりデビューが決定。この時点でメンバーは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人になった。 The Cavern1961@thebeatles Instagramより

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エプスタインの提案により、それまでのロッカーズ・ファッションから一転、「マッシュルームヘアに細身のスーツ、サイドゴア・ブーツ」という出で立ちで、演奏が終わるごとに深々とお辞儀をするルールをもうけると、彼らの人気は瞬く間に上がっていく。62年にシングル“ラヴ・ミー・ドゥ”でデビューして以来、1965年までは「年2枚」のペースでアルバムをリリースしながら、そのレコーディングの合間をぬって精力的なライヴ活動をおこなった。 次ページ:ザ・ビートルズの圧倒的な演奏力