
Interview:カニサレス


陰と陽を体現したアルバム『洞窟の神話』
カニサレス「今回の『洞窟の神話』というアルバムは、プラトンの洞窟の比喩に由来していまして、自分の中で太陽の光というのは、クラシック音楽やジャズなどのセオリーを象徴するものであり、洞窟の中の淡い光こそがフラメンコによって象徴されているものであると捉えています。アルバムの全体を通じて、Bmajor7が太陽のコード、F#sus4がフラメンコを表すコードとして繰り返し出てくるんです。この二つの象徴的な和音は、アルバム6曲目の“雪の砂漠”(フラメンコ風ハバネラ)の最後には一緒に鳴らされます。アルバムのはじめの方に入っている曲も、そのようなコンセプトから、ポリコード(調性を複合した和音)のような瞬間が聞こえてくるのではないかと思います。“妖艶な美”という題名のソレア・ポル・ブレリアにもこのコードが出てきます。」 今回カニサレスさんはプラトンの比喩に現れる、洞窟の外のあかりによって洞窟の奥に照らし出される様々な物の影の神秘性や妖しさをフラメンコ、洞窟の外で輝いている太陽に照らされた世界をクラシックやジャズの世界に見立てた。影の揺らめく世界では物事や行動の微細なディテールは時には闇にまぎれてしまって説明され得ないものとなるのに対し、白日のもとでは、どんな奥義も理論づけられ、誰にも明らかなようにはっきりと理解することができる。 ふたつの世界を自由に行き来することができるカニサレスさんにとって、その融合やブレンドのバランスを計ることはとても重要だ。もし洞窟の中の世界をサーチライトで明るく照らし尽くしてしまったら妖艶な美しさは消えてしまうかもしれない。かといって、伝統を重んじながらも時代の新しい潮流や価値観とともに活きた芸術を創造するアーティストとしてのカニサレスさんは、自身がその多岐にわたる活動によって培ってきたクラシックやジャズの理論も頼もしいツールとして手放すわけにはいかない。

フラメンコを楽しめる大小のホール。その楽しみ方の違いは?
ところで日本人である私たちにとって、フラメンコを楽しむ会場というと、コンサート・ホールや劇場がある。本国ではそれだけではなくて、“タブラオ”(舞台のあるバル、レストランの通称)と言われる薄暗い場所も共存している。今日、果たしてフラメンコが息づく場所としては、どちらが主流なのだろう。 カニサレス「私が活動しているような劇場型の方が全体としては多いと思うけど……。タブラオはスペインの街では主として旅行者向けにあることが多いので、そういうところでは、傾向としては“プーロ”といって、民族的なものを感じさせるフラメンコを上演している事が多い。それに対して劇場型の方は、常に何か新しいものを創造して表現しようとするので、劇場型のフラメンコはモダンな潮流を取り入れているものが多いということが言えます。」 鈴木「カニサレスさんのように、劇場での公演が主体で、なおかつ“アランフェス協奏曲”や自作の協奏曲“アル・アンダルス”はじめ、オーケストラとの共演が多い中で、大きな会場の大勢の聴衆に伝わるような音楽へと自身を導いていくという意識は持たれたことがありますか? 例えば今回の新譜を聴かせていただくと、非常に音楽の輪郭線がはっきりしているというか、曖昧模糊とした部分が少ない、というか……このような作品だったら、大きな会場でも隅々まで届くものになっているような気がしたんです。」 カニサレス「そうおっしゃってくれて嬉しいです。おそらく、作曲する時に、なるべく音域を幅広くとって、オーケストラ的な響きを想定しているからではないかと思います。大きな箱(会場)にも耐えうるような曲作りをしているつもりです。」 ギターというのは指先で奏でる親密な楽器だからこそ、ギタリスト、特に(エレクトリックではない)アコースティックなギターの奏者にとっては、会場を包み込むように響く大きな音楽創りがとても意義深いテーマだし、乗り越え甲斐のある試練でもある。 鈴木「ファリャのオーケストラ作品“三角帽子”をあなたはギターで演奏していますよね。その反対に、あなたのギターのための曲がオーケストラで鳴っているところが想像できてしまうほど、今作に収録されているフラメンコ作品はシンフォニック(交響曲的)です。」 カニサレス「それは意図してないんですけど、それもきっと(さっきお話ししたように)“雨に濡れちゃっている”のでしょうね。」 次ページ豊かな音の数々を取り入れた新作アルバム、そして待望の来日ツアーの編成も明らかにCopyright (C) Qetic Inc. All rights reserved.